週末の低い空から冷たい雨が糸のように降り注いでいた。
私の部屋を照らすのは、テーブルに置かれた間接照明の微かな灯りのみ。
そのオレンジ色の光の輪の中に、三つのグラスが気まずげに浮かんでいる。
氷が溶けてカラン、と鳴る音だけが、重たい沈黙を破る唯一の音楽だった。
右にいるのは、ハヤト。
アプリで出会った、夜だけの恋人。
彼の纏うドライな空気と、何も求めない瞳が好きだった。
左にいるのは、今野くん。
会社の部下で、熱に浮かされた一夜の過ちから、奇妙な関係を続けている。
彼の不器用な優しさが、私の何かを静かに蝕んでいた。
この歪な天秤のような日々を、終わらせるはずだった。
それぞれに別れを告げるために設けた今夜。
それなのに、私の単純なミスで二本の線はここで交わってしまった。
交わるはずのなかった男たちが、私の部屋で、同じソファの端と端に座っている。
窓を叩く雨音は、まるで私の心臓の音を隠してくれるようだった。
……
満たされない身体の渇きは、いつだって私を急き立てた。
夜ごと、自分だけの秘めやかな儀式で熱を逃がしても、虚しさは募るばかり。
肌と肌が触れ合う、本物の熱だけが、私の存在を肯定してくれる気がした。
だからハヤトと出会い、今野くんと過ちを犯した。
刹那的な快楽に溺れることで、どうにか自分を保っていたのだ。
けれど、鏡に映る私の瞳は日に日に澱んでいく。
二つの秘密を抱え、嘘を重ねる日々。
このままでは壊れてしまう。
そんな焦燥感に駆られての決断だったのに、目の前の光景はあまりにも現実離れしていた。
「このウイスキー、珍しいですね」
沈黙を破ったのは、意外にも今野くんだった。
彼の視線の先、ハヤトが手酌で注いでいたボトルに向けられる。
「ああ、これ。好きなんだよ。わかる?」
ハヤトの声に、初めて温度が灯った。
そこからだった。
古い映画の話、マニアックな音楽の話。
私の知らない世界で、二人の言葉が軽やかに繋がり始めた。
私が置いてけぼりになるほどの熱量で、彼らは笑い合い、グラスを重ねる。
疎外感を感じるはずなのに、私の胸に広がったのは安堵にも似た奇妙な高揚感だった。
二人の男が、私を介さずに打ち解けていく。
その光景は、背徳的で、どこか甘美ですらあった。
アルコールが身体を巡り、思考の輪郭を曖昧にしていく。
終わらせるはずだった夜が、ゆっくりと違う色に染まり始めていた。
どれくらい時間が経っただろう。
雨音はいつしか遠のき、部屋には三人の吐息だけが満ちていた。
不意に、ハヤトの手が、冗談めかすように私の肩を抱いた。
いつもなら振り払うか、あるいは、もっと深くを求めるか、どちらかだった。
けれど今夜は、隣にいる今野くんの視線が私の動きを縫い付けていた。
ぴたり、とハヤトの動きが止まる。
彼の視線が私を通り越し、今野くんへと注がれる。
挑むような、あるいは、共犯者を求めるような光。
今野くんはただ黙って、持っていたグラスをテーブルに置いた。
そして静かに笑った。
静かな肯定。それが合図だった。
ハヤトの指先が肩から首筋へと滑り、私の髪を優しく梳く。
その反対側で、今野くんの指が私の手の甲をそっと撫でた。
右からと、左から。
二方向からのアプローチに、身体の自由が奪われていく。
どちらを拒めばいいのかわからない。
いや、本当は、どちらも拒みたくないのだと、身体の芯が気づいていた。
ソファの背に、ゆっくりと身体が沈んでいく。
二つの影が、私の上に重なった。
片方の唇が、熱い吐息と共に私の鎖骨をなぞり、
もう片方の唇は、すぐ耳元で「綺麗だ」と囁く。
ブラウスの小さなボタンが二人の指によって一つ、また一つと解かれていく様は、
まるで熟れた果実の皮を剥いていくかのようだった。
やがて、冷たい空気に晒された肌に、二つの熱が同時に触れる。
示し合わせたように、左右の柔らかな峰を、それぞれの唇が啄み始めた。
右は激しく吸い上げるように、左は慈しむように舌を這わせるように。
全く違う感触なのに、それは完璧な二重奏となって私の背を弓なりに反らせる。
ああ、だめ。声が漏れる。
片方の手が、滑らかなスカートの裾から忍び込み、
薄い布地の上から、秘められた場所の輪郭を確かめるように圧迫した。
私の昂りの硬い熱が、布越しに彼の手にじわりと伝わっていく。
その一方で、もう片方の指は布地の中に侵入していた。
そしてそれは、より繊細に、中心で濡れる蕾を優しく探り当てていた。
直接的ではない、焦らすような愛撫が、身体の奥の熱を呼び覚ます。
呼吸が重なり、三つの心音が、一つの乱れたリズムを刻み始めた。
どちらがハヤトで、どちらが今野くんなのか、もうどうでもよかった。
二つの熱が、ただ私という一つの楽器を、余すことなく奏でている。
どちらか一方の、燃えるような熱を持った指が、
私の湿った入り口で静かに存在を主張する。
それがハヤトのものなのか、今野くんのものなのか、
薄闇と熱に浮かされた頭では判別がつかない。
ただ、これから訪れるであろう未知の感覚に、期待と怖れがない交ぜになった吐息が漏れた。
その瞬間、もう一方の手が、まるで私の心を見透かしたかのように、
頬を優しく包み込み、唇を深く塞いだ。
角度を変えながら貪るような、それでいてどこか慈しむような口づけ。
その巧みなリードに思考が絡め取られている間に、
もう一方の、角度をつけて大きくなったそれは、
ゆっくりと、私の中の最も柔らかな場所を押し開いていく。
「……っ、ぁ…」
先ほどの愛撫で十分過ぎるほど濡れていた私の柔らかな場所は、
いつになくスムーズにそれを受け入れた。
私の唇を塞いでいた熱が離れ、耳元で甘く囁いた。
「もっと欲しい?」
今野くんの優しい声。
その声に安堵するように身体から力が抜けた瞬間、
楔はさらに深く、私の中心を貫いた。
ハヤトの、荒々しくも確かな熱だった。
彼の律動が始まる。
深く、ゆっくりと。私のすべてを確かめるように。
その度に、今野くんの指が私の髪を梳き、汗ばんだ額を撫で、私の胸を優しく絡めとる。
下半身はハヤトに支配され、上半身は今野くんに委ねる。
二つの全く違う種類の愛情が、私という存在を境界線にしてせめぎ合い、そして溶け合っていく。
ハヤトの動きが少しずつ熱を帯び、速度を増していく。
それに呼応するように、今野くんの唇が私の首筋や鎖骨をなぞり、柔らかな胸の頂きを再び甘く啄み始めた。
一つの快楽の波が打ち寄せると、間髪入れずに別の場所から新たな快感が湧き起こる。
逃げ場のない、快楽の渦。思考は完全に溶け落ち、ただ感じるだけの生き物になっていく。
「こっちも、見て」
ハヤトの低い声。
喘ぎの合間にうっすらと目を開けると、
すぐ目の前に、今野くんの硬く昂った熱があった。
彼の瞳が、懇願するように私を見つめている。
言われるがまま、私はゆっくりと顔を寄せ、その熱を唇で迎え入れた。
背徳感で頭が痺れる。
下はハヤトに貫かれ、口は今野くんを受け入れている。
自分がいま、どんな表情をしているのか、想像もつかなかった。
二人の呼吸が、私の喘ぎ声と重なり、一つの乱れた交響曲を奏でる。
すべてが信じられないほどの調和の中で進んでいく。快楽と安堵、背徳と肯定。
相反する感情が同時に押し寄せ、私の意識を白く塗りつぶしていく。
もう、自分が誰で、どこにいるのかさえ曖昧だった。
ただ、この身を焦がす二つの熱だけが私の世界のすべてだった。
やがて身体の奥深くで何かが弾け、熱い奔流となって全身を駆け巡った。
私はただ、この背徳の波に身を委ね、溺れていった。
… …
まどろみの中、白いシーツの海に沈んだまま、ぼんやりと天井を眺めていた。
両脇には、満足げな寝息を立てる二つの体温。
終わらせるはずだった夜は、見たこともない景色の広がる始まりの朝を迎えていた。
罪悪感も自己嫌悪も、昨夜の熱にすべて溶けてしまったようだ。
「……このまま、三人で会わないか」
掠れた声で囁いたのは、ハヤトだった。
その言葉は、まるで運命の宣告のように、静かな部屋に響く。
「……俺もそうしたいです」
静かに同意したのは、今野くんの声。
彼の腕が、私の腰をそっと抱き寄せる。
三人で、週に一度。
そして、それぞれと、週に一度ずつ。
悪魔の囁きは、蜜のように甘く、私の耳から脳を痺れさせた。
週に三度、肌を重ねる?その数字が、私の身体の奥底で疼いていた渇きを、的確に射抜いた。
そう。満たされることを知ってしまった私は、もう引き返せないのだ。
この奇妙で甘美な罪に、どこまでも深く堕ちていこう。
私は静かに目を閉じ、二つの体温に身を委ねながら、新たな日々の訪れを予感していた。
