傷を舐める夜、始まりの朝|官能小説短編

ネオンの滲む窓の外は、とうに終電を過ぎた時間の気配を漂わせていた。

大学時代から何も変わらない、煙草と焼き鳥の匂いが染みついた安酒場のカウンター。
私とアキラは、肘が触れ合うほどの距離で、揃いの感傷に浸っていた。
同じ大学、同じゼミ、そして同じ時期に、長すぎた恋に終わりを告げられた、似た者同士。

「乾杯、かな。新しい門出に」

「門出ってがらじゃないでしょ。都落ちだよ、お互い」

そう言って笑うアキラの横顔を盗み見る。
無理に作った笑顔の端に、隠しきれない疲労と寂しさが影を落としていた。

差し出されたジョッキを合わせると、乾いたガラスの音がやけに大きく響く。
慰め合うための言葉は、アルコールと共に喉の奥へ滑り落ち、
本音を隠すための饒舌な沈黙だけが、二人の間に横たわっていた。

テーブルの下で、何度か膝が触れた。
そのたびに、微かな熱が伝わってくる。

それは、傷を舐め合う同志の温度なのか、
それとも、同じ渇きを抱えた雄と雌の信号なのか。

答えを探すように視線を彷徨わせれば、
彼の指がグラスについた水滴をなぞるその仕草にさえ妙な色気が宿っているように思えて、
私は慌ててぬるくなったビールをあおった。

タクシーを拾ったのは、どちらからともなく。
行き先を告げたのは、果たして、彼の声だったか、私の声だったか。

もう、思い出せない。

……

無機質なカードキーが電子音を立てて、現実との扉を開く。

ビジネスホテルの、ありふれているのに非日常な空間。
間接照明に照らされた部屋は、外の喧騒が嘘のような静寂に満ちていた。

真っ白なシーツが敷かれたダブルベッドが部屋の中央で私たちを待っている。
まるで、これが定められた結末だとでも言うように。

沈黙に耐えきれなくなったように、アキラが口を開いた。

「俺、先にシャワー浴びてくる。…やっぱり嫌だったら、帰っていいよ」

その声には戸惑いと、精一杯の優しさが滲んでいた。

私に、もう一度選択肢を与えてくれる彼の誠実さが、逆に私の逃げ道を塞いでいく。
彼の背中がバスルームの扉の向こうに消えるのを見届けて、私はゆっくりと息を吐いた。

帰るつもりなんて、なかった。

これは、やけくそ?元恋人への当てつけ?

わからない。

けれど、心の深いところが、細胞の一つひとつが、
ひどく渇いていることだけは確かだった。

誰でもいいわけじゃない。
アキラだから、と思った。

長年の友情という名のベールに隠されていた彼の雄としての輪郭を、
今、はっきりと意識している。

長い指、低い声、時折見せる翳りのある瞳。
そのすべてが、私の知らないアキラだった。

「…帰らなかったんだね」

シャワーを終えたアキラは、嬉しさを抑えるように平静を装った。

「もう終電も終わってるから」

私も渇きを悟られないように、なんでもないことのように返事して、私もシャワーを浴びに行った。

熱い湯を浴びながら、古い恋の記憶を肌から洗い流していく。
感傷も、未練も、すべて。鏡に映る自分は、頬を上気させ、潤んだ瞳をしていた。

これから起こることを恐れるでもなく、むしろ期待している顔。
バスローブを一枚羽織り、湿った髪から滴る雫もそのままに、バスルームを出た。

ソファに腰かけ、テレビのニュース番組をぼんやりと眺めていたアキラが、私を見て一瞬、息を呑んだ。

そして、すぐにふっと表情を和らげ、嬉しそうに笑った。
その笑顔に、私は最後の理性を手放す覚悟を決めた。

ためらうことなく、部屋の主役であるベッドに滑り込む。
シーツの冷たさが、火照った肌に心地よかった。
アキラがリモコンでテレビの電源を落とす。

小さな赤い光が消えた瞬間、私たちの夜が、本当に始まった。

アキラがベッドサイドに静かに腰を下ろす。
シーツが軋む微かな音が、部屋の静寂を揺らした。

彼の香りがふわりと鼻をかすめる。
さっき使ったシャワージェルと同じ、清潔で、それでいてどこか甘い香り。

「…キス、してもいい?」

掠れた声が鼓膜を震わせる。
私は言葉の代わりに、ゆっくりと目を閉じた。
「もちろん」と、唇の形で答える。

触れた唇は、想像していたよりもずっと柔らかく、そして熱かった。

最初は互いの感触を確かめるように、優しく啄むだけだったのが、
次第に角度を変え、深く、求め合うように変わっていく。

彼の舌が私の唇をそっとこじ開け、遠慮がちに侵入してくる。
その瞬間、痺れるような甘い疼きが背筋を駆け上った。
応えるように舌を絡めると、彼の喉の奥から、くぐもった声が漏れた。

抱き寄せられた身体は、思った以上に厚く、硬い。

背中に腕を回し、彼の逞しい筋肉の感触を確かめる。
失恋の痛みも、未来への不安も、この腕の中ではすべてが溶けてしまいそうだった。

私たちは、互いの傷ごと飲み込んでしまおうとするかのように、
貪るように口づけを交わし続けた。

不意に、私の下腹部に彼の存在を主張する熱の塊が押し当てられた。

どくん、どくんと脈打つ、生命そのものの熱。
友情という薄皮一枚を隔ててずっと隣にあったはずの、雄の証明。

バスローブの合わせ目が乱れ、彼の昂りが夜の闇に姿を現すのが、肌の感触でわかった。

それに誘われるように、私もそっと自分のローブの裾を広げる。
露わになった内腿が、彼の切実な熱を、柔らかく、けれど確かに受け止めた。

肌と肌が直接触れ合う、滑らかな摩擦。

まだ境界線を越えない、もどかしい戯れが繰り返される。

吐息が熱を帯び、部屋の温度を一度、また一度と上げていく。

アキラが私の唇から離れ、枕元に手を伸ばすのが見えた。

小さな銀色の包み。
現実と非現実を隔てる薄い膜を、
彼はキスを止めないまま、慣れた手つきで解いていく。
その器用さに、彼の知らない過去を垣間見た気がして、胸の奥がきゅっと疼いた。

もう一度、彼の熱が私の内腿をゆっくりと往復する。
そして、その動きがぴたりと止まったかと思うと、
アキラは私の身体の上から静かに降り、シーツの海へと沈んでいった。

次に感じたのは、私の中心にある、最も柔らかな場所への熱く湿った感触だった。

驚きに声も出せず、ただシーツを握りしめる。
彼の舌が、秘密の花弁を一枚ずつ丁寧に開いていく。

一番敏感な場所を的確に探し当て、優しい刺激で繰り返し、繰り返しなぞられる。

それは、ただの快感ではなかった。

心の奥底にしまい込んでいた寂しさや虚しさが、
その場所からゆっくりと溶かされていくような、甘美な救済。

身体の芯が痺れ、甘い痙攣がさざ波のように何度も押し寄せる。
意識が白く溶けていく感覚の果てに、私は彼の名前を小さく、喘ぐように呼んでいた。

私の軽い頂点を見届けた彼は、ゆっくりと身体を起こし、再び私の上に覆いかぶさる。

そして、彼の熱の先端が、潤んだ入り口で優しく円を描く。
焦らすような愛撫に、身体が自然とそれを迎え入れようと疼いた。

その疼きを受けた彼は、覚悟を決めたように、
私の最も奥深くにある空洞を彼の熱い昂りで探し当て、ゆっくりと満たしていく。

馴染んだ記憶とは異なる輪郭が、私の内側を新しく塗り替えていく感覚。

最初は戸惑うほどの存在感も、呼吸を合わせるうちに、
まるであつらえられたかのようにぴったりと嵌っていく。

窓の外のネオンが明滅するのに合わせるように、
深く、そして浅く、一定のリズムが繰り返される。

シーツが擦れる音、互いの荒い息遣いだけが、私たちの世界のすべてだった。

思考が途切れ、ただ熱い奔流が身体を駆け巡る。
彼の奥で何かが解き放たれるのを感じた瞬間、
私もまた、砕け散るほどの光を見た。

……

熱の嵐が過ぎ去った後には、心地よい疲労と、満たされた静寂だけが残っていた。

汗ばんだ肌を寄せ合い、互いの心臓の鼓動を聞く。
どちらのものとも知れない穏やかなリズムが、
二人の間に流れる時間を優しく縁取っていた。

彼の熱の名残を閉じ込めた小さな膜が、サイドテーブルの上で微かな光を放っている。

「…どうしようか、これ」

天井を見上げたまま、アキラがぽつりと呟いた。

「なにが?」

「だって、こんな……こんなに、しっくりくるなんて、思わなかった」

その言葉に、胸の奥が温かくなる。
傷を癒すための一夜限りの過ち。そう思っていたはずなのに。

「私も、思った…」

彼の腕が、私をさらに強く抱きしめる。
窓のカーテンの隙間から、白み始めた空の色が見えた。
長い夜が、終わろうとしている。

「なあ、のぞみ」

「うん?」

「傷の舐め合いのはずだったのにさ、
もう、前のやつのことなんて、どうでもよくなってる自分がいるんだけど」

私も同じだった。

あれほど胸を締め付けていた未練や後悔が、嘘のように凪いでいる。
彼の体温と、肌に残る感触が、古い記憶をすべて上書きしてしまったのだ。

「…じゃあさ」

アキラが私の髪を優しく撫でる。

「俺たち、始めちゃう?」

その問いかけは、あまりにも不器用で、あまりにも真っ直ぐだった。

私は彼の胸に顔を埋め、返事の代わりに、こくりと頷いた。
月のない夜に始まった私たちは、共犯者のように寄り添い、新しい朝の光を待っていた。

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